テイラー(アコースティックギター)を指弾きするスラップ奏法に代表される”サムライ・ギタリスト”として、またジェンダーレスなルックスと、しなやかなパフォーマンスで日本国内のみならず、2010年以降は世界各地でライブを行ってきたMIYAVI。
また、2014年にはアンジェリーナあ・ジョリー監督作品「不屈の男 アンブロークン」で俳優としてハリウッド・デビューも果たした。そんなMIYAVIが活動拠点をアメリカに移してから1年半。今回は、ダブルAサイドシングル「Afraid To Be Cool / Raise Me Up」の全世界配信に先駆けての日本での新曲披露で久々に帰国した(取材は4月中旬)
超絶的なギターテクニックはもちろん、ダンスミュージックでもあり、また何より彼の超越的なキャラクターで全世界をツアーするMIYAVIだが、日本人であることやジャパンカルチャーの特異さが優位になることを潔しとせず、MIYAVIオリジナルがどこまで世界の壁を越えられるのか?を彼の地で呼吸しながら模索中でもある今。『The Others』ではジョン・レジェンドらを手がけたグラミー受賞プロデュース・チーム、ドリュー&シャノンとタッグを組んだが、ニューシングル以降は彼の活動拠点であるLAの若いプロデュース、ライティング・チームとUSの今を反映したサウンドメイクを行っている。
—日本にいるとMIYAVIさんがアメリカでどんなテンションで活動してるのかなかなか伝わってこないので、お聞きできれば。
のほほんとやってますよ(笑)。とにかくいろんなもののスケールがでかいんで、移動距離だけじゃなくて、ビートもでかいし、いろんなもののスパンが長い。そういうところと、どう自分のハートレーと(鼓動)を合わせるかが大事だなと思って。人の歩く歩幅の違い? 全部シンクロしていて。それと呼吸の長さ、メロディの長さとか、楽曲のBPMとかいろんなものがシンクロしていて、そこにアジア人の自分がどう、そこにシンクロしていくか? の最中ですね。多分もう少しかかると思います。自分だけじゃなく自分の先祖も含めたところのルーツ、骨格からくる声の響き方とか、歩き方とか、DNAもそうだし、自分だけじゃないく先祖も含めて積み上げてきたものを意識するようになりました。音楽だけじゃなくて。
—タフな活動をしてきたMIYAVIさんでも違いを感じるっていうのは相当な違いなんですね。
ああ、それは全然違いますよ。ロケーションとか天気、それに狩猟民族と農耕民族の違い、これはでかいですよ。使ってきた筋肉も違うし、ずっと(かがんで)こうでしょ? 上、見ないし。特に、近代化された東京の街で上見る機会も少ないし、どんどん胸郭が縮まって、呼吸するスペースも小さくなって。別に欧米が全部正しいわけじゃないけれども。あとは、やっぱり言葉も違うし。言葉のリズムから違う。でもその壁がなくなる時代もすぐ来るんだろうなと思っています。それを見れる世代でいたいし、その壁を壊す世代でいたいから、それを音楽でやれればなと。
—その壁を越えるために一回そのメンタリティを持った肉体にまでならないと自分の音楽のリアリティがないとMIYAVIさんは感じている?
そう、やっぱ大海を知らずして世界を語れないな。気づいた時には海はちっちゃかったと思うかもしれないけど、泳ぎ切らないと世界は語れない。もうこっから先は日本人だからっていうのは関係ない、はっきり言って。そこでどう戦っていくかだから。今までは戦車が来た時に、弾をどう刀で切れるか? ってことだけに集中してたんですね。どう刀を研ぎ、刀自体の精度も上げて、その弾を切りまくって、でもそれって、その時点で防御だったんですね。戦車をぶった斬りに行くわけでしょ? しかもその戦車は一体ではないんですよね、無数にいる(笑)じゃあ、その状況でどうすんの? っていうことを今、考えていますね。だから最初のステージは対・戦車だったけど、今はその戦車の奥にあるものについて考えています。
—と、言うと?
端的に言うと、エンターテイメントは裾野も広い。前回ナッシュビルで作って、今回はロサンゼルスのハワード・ベンソンっていうプロデューサーのスタジオで彼のチームとやっていて。で、22、23の若いプロデューサーやライターたちとやっています。皆、モダンな音楽シーンにいて、ナッシュビルの時とは感覚も違う。
—前作『The Others』は、結構、内省的なアルバムだったと思うんです。そこから音楽での戦い方の心境の変化というのは?
今言ったことに近いですね、戦い方が変わってきている。戦うことの意義を今もう一度、見直してるところですね。で、これはまた次の作品が出た時にちゃんと説明したいなと思ってるんですけど、カリフォルニアロールを作ろうとしてます、今。カリフォルニアロールって寿司屋からしたら寿司じゃないでしょ? ま、俺もぶっちゃけ食べないし(笑)。でも、そのカリフォルニアロールの意義というか、果たした役割は俺はでかいなと思うんですよ。あれがなかったら、あそこまで寿司屋、LAにないですよね、あのカリフォルニアロールが架け橋になったことはすごくでかいなと思って、それを僕は作りたい、時間がかかっても。僕はワサビは持ってる、ソイソースも持っている、寿司のネタ、酢飯も持っている、サーモンも持っている。でもアボガドは持ってない。それはポップさだったり、メロディだったり、あとは英語の響きの部分も含めて。結果、それを寿司と呼ぶ、呼ばないにはこだわってなくて。ただそういうものがあっていいんじゃないか? 必要なんじゃないかと。それが僕の役目であり、僕はそれを音楽で作りたい。だから有名無名問わず、今回からはちょっと角度を変えて、”NEW BEAT,NEW FUTURE”というか、新しい何かですね。それはもしかしたらルーツを無視してるかもしれない。俺のギターはロックである必要はないと思っていて。ロックなんですけど、ロックっていうカテゴリーである必要はないなと。多分それが自分の役割だし、それを自分はやるべきだなと思っているんですね。マナーを知った上で取っ払う。知りすぎると取っ払えなかったりするじゃないですか。
—ギターのアプローチを変える必然があるということですか?
そういうわけではないんだけど、実際、世界と日本で感覚が違うのを実感してます。ギターミュージック、今、ラジオで鳴ってないもん。グラミーでも見ないでしょ? ギターミュージック自体。じゃ、ロックのアーティストって誰? 強いて言ったらトゥエンティ・ワン・パイロッツだけど、ギターいないもん。ちょうど去年、香港と台湾で一緒にライブやって、たまにボーカルがウクレレとかベースは弾きますけど、ギターないですもんね。
—アラバマ・シェイクスもグラミー5冠ですけど、扱いはオルタナティヴですからね。
そう。もちろんいいバンドはたくさんいるんだけど、ギターミュージックじゃないじゃないですか? 僕自身もギタリストとして、今までは寿司にワサビ塗りまくって、「どやどやどや!」ってやってきたけど、やっぱり「うわ〜辛い!」ってなって、最終的に食べ続けたいと思わせれないと、本当の意味での勝ちではないなと。
—そう考えると今回のシングルは飽くまでMIYAVIさんはギターを弾いてるし、どういうスタンスでアメリカで戦うのか? がクリアな作品だなと思いました。
どこまでアボカド入れるのか。あとは酢飯。パンじゃダメなんですよね。ちょっと「Afraid To Be Cool」はパンっぽいなっていうのはあるんです。極端な話、「ハンバーガー作りました!」って日本からアメリカに持ってっても「別にこっち(現地)にハンバーガーあるし」っていう。今、音楽で言うところの日本製のハンバーガー、一杯あると思うんですよ。でも別に食べたくないじゃないですか、どれもすごく美味しいんだけど。
—たしかに。だから今回のシングルは「今のメインストリームで戦おう」っていう狼煙が上がった感じがするんです。
もしかしたらビートの感じ方とか、日本の邦楽的な感覚とは違うのかな?っていうのは、正直あります。でもそこは頑張って引っ張って行くようなスタンスじゃないと変わんないし、そこに合わしてやるんだったら日本で作ればいいじゃないですかってことになるので。このまま突っ走るつもりです。
—ダブルAサイドのもう1曲、「Raise Me Up」は、MIYAVIさんのテレキャスターもエフェクティヴで、テンポ感はミドルなのに印象は尖ってるという、不思議なバランスです。
ポップさとエッジーさとのバランス? 疾走感も含めて、近づいてきたかなと思っています。ハーフタイムのビートとトラップの感じとか。最近、ビート速い曲自体ないもんね。大体、ハーフタイムのトラックかR&Bか。比較的最近で言ったらマーク・ロンソンが一番速いんじゃな以下なってくらい。
—(笑)、たぶん日本のロックは倍ぐらいのBPMじゃないですか?
倍ある。ていうか、細かさ、歩幅が違う。心臓のビートも違うんじゃないかって思うぐらい。スーパーマーケットのでかさも、リリースのサイクルも違う。自分にもすごく感じるんだけど、日本人、アジア人は骨格もフラットでしょ? デプス、ビートのを味わえるか味わえないか。遅いビートもその深みを味わえるから楽しんでるわけで、欧米に比べて俺たち日本人はそこまで深みを味わえてないきがする。パラパラみたいなBPMもガンガンあるでしょ? こっから上(手首)しかのノッてないみたいな(笑)。でも、それを俺、悪いと思わないんですよ、それが日本のある種のアイデンティティだったりもすると思うし。ただまぁ、それを共通言語にするのはしんどいかなっていうのは正直あります。いきなりBPM180とか、結局誰もノッてなければ意味ないじゃないですか。どっちがいいとかじゃなくて、BPMの違いはそう感じるし、今顔の作品だけじゃなくて、そこに対して自分のギターのアプローチの仕方も変わってきましたね。スラップだけじゃないところでのアイデンティティも踏まえて。スラップは短距離走なんです。
—見る方もパフォーマンスとして驚くし。
そうそう。ただ、あれはワサビなんですね。でもワサビばっかり食っていられないじゃないですか。そこで寿司のシャリだったり、もっとギターで歌えるように。ソロとかも、自分流のスタイル、表現方法で。これは前作で学びましたね。
—一方、素材的にギターを使ってもいて。
今ね、ギター自体も進化させようとしていて、ぶっちゃけ邪道なんですよ、今やろうとしてることって。ギターロックの歴史から見たら。でもまた新しい時代の解釈でちゃんとそれをやれれば、いいんじゃね? って。それがかっこいいと思わせられたら勝ちだし、思われなかったら邪道で終わりだなって思っています。
—話は変わりますが、「Raise Me Up」のMVをファンタジスタ歌麿呂さんが手がけられて、アートワークともリンクしてるんですね。
そうそう、今回、ファンタジスタ歌麿呂にお願いして。なんかNEWな感じがいいなと思って。これまでというより、これからだなぁって感じられるかどうか。自分もそれを欲しているし、血と肉になるものを感じていますよね、作品としてね。だからライブの仕方も変わってくるだろうし。もっともっとチームで押せるようにというか。今まで一人でも戦ッタル、全員斬ったる! と思ってきたけど、それじゃ全部は無理だなと。特に戦車はね、キリがない(笑)。それならチームで、戦車に爆薬を仕掛けるじゃないけど、どう違ったやり方で攻めれるか。それがなんなのかっていうのはまだ模索してますけど、それが見つかった時は、勝つ瞬間なんだろうなと、ホントの意味で。もしかしたら戦車の、鉄砲の弾の向く方向が変わるかもしれないし。全然戦わないってことかもしれないし。ただ、刀は研ぎ続けていようとは思います。迎合でもなく、新しい形でね。
—そこまでアティチュードを変えようと思う動機は、やはりアメリカで感じる日常がリアルに日本と違うからですか。
感じますね。ホントに空港行ってもスーパーマーケット行っても、国力の差というか、人間力の差というか。やっぱそれは教育から来ていますし、教育する人間のアティチュードからも来ていますし、対話力もそうだし。ただやっぱ、そうなると思うのは、日本の強さって、狂気とホスピタリティだということにも気づくんですね。
—感受性ということ?
うん。そこは自分も感じるし、他のアメリカ人とセッションしてて、あ、多分こいつら今俺のこと怖いじゃないけど、「何考えているかわからない」と思ってるんだろうなと思う時がある。まあ日本の人も思ってるかもだけど(笑)。
—それは強みですよね。
うん。こんなに食べ物を生で食う民族もいないよね。卵も生で食うし、魚も生で食うし、牛まで食っちゃうじゃないですか(笑)。
—(笑)。それってどこからが危ないか分かってるからですし。
でしょ? でも向こうからしたら狂ってるとしか言えないわけじゃないですか? でもそれが日本人の繊細さ? ディティールの繊細さで、最終的にはホスピタリティとも繋がっているんですけどね。
ー狂気とホスピタリティは背中合わせかも(笑)。そして、リミックスをSeihoさん、Jonny Dopeさんがが手がけています。
うん、理由は一緒ですね、ファンタジスタ歌麿呂くんと。俺もどんどんどんどん感化されていきたいし、自分自身も刺激を受けたいし。自分より若い世代の人とやることによって自分もなんか感化されて、学ばされますし。こうでこうでっていう理論やセオリーがない世代だし。
—そして9月からはジャパンツアーが始まりますね。
これは久しぶりですよ。日本はホームカントリーだし、アメリカに行って武者修行の最中ですけど、日本のファンの人たちみんながなんだかんだこうやって離れていても、応援してくれている、信じてくれている、嬉しいですよ。もっとやろうと思わせられるし。また飯屋の話ですけど、一見さんお断りの寿司屋で、一ヶ月二ヶ月休養しますって言っても、再開したらまた来てくれる。それって信用じゃないですか。その一ヶ月二ヶ月でこっちもやっぱ何かを学んで、それを見せたいし、それを感じに来てくれる人たちなので。ま、日本だけじゃないですけど、日本は自分のホームカントリーとして、コンスタントにやっていきたいですね。この国の人たちにとっても自分は、為すべきこと、自分の役割を通じてを、「俺たち行けんじゃん」っていう、「もっと行こうぜ」っていうのを俺は提示したい。鉄砲の切り方はわかったので、戦車の壊し方? また戻りますけどーーなのかどうかわかりませんけど、日本人として提示することによって、今度はこの国のね、パワーというかエナジーというかエキサイトメントを共有したいんですよね。日本人から見て「あ、やってるね」だけじゃもう意味がないというか、そのセクションは俺はもう卒業したんで、今度はもっとググッと、その先を見せたいと思います。